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10年ひきこもっていた人間が「20年間引きこもりをしていた友人〜」を読んだ感想

もっぱら書くばかりで、あまり人のブログを読みに行かないのですが(ある意味でブログでもひきこもっているという)、今週のランキングから読んだ記事がとても印象に残りました。

ひきこもりを「戦っている」と表現できる感性が素敵だと思いました。 11から21までの10年間、社会復帰へのリハビリ期間を含めると10年以上、ひきこもりをしていた私自身さえ、ともすれば、その時代を「何もしていなかった」と責める言葉しか出てこないからです。

私は小学校の時点で人生をぶん投げる暴挙に出て、学業もこなされて友人関係もあり、働いて心身を壊されたこの方のご友人とはひきこもりに至る境遇が異なるでしょうが、感じたことをとりとめもなく書きとめておきたいなと思いました。

記憶や人間関係がひきこもる前で止まってしまうのは確かにそうで私自身にも覚えがある経験でした。

私がひきこもったのは小5の頃で、それ以降家族以外のコミュニティに属することがなかったので、成人を過ぎてからも年に何度か小学生時代のクラスメートが、小学生時代の姿のままで出てきては翌朝の私を猛烈に鬱に追いやっていました。勝手に夢見て追いやられているのは私なんですけど。

田舎のインターネット網(親同士の噂)というものは凄まじく、同級生に何かあったら常に耳に入ってくるので、子供ができたとか結婚したとかそういう話を聞くのも苦しくてたまらなかった。

私をいじめていた人間(後々話を聞けばそいつも母親がいない複雑な家庭環境だったというが、そんなことは私が知ったことではない)が、介護職で立派に働いていると聞かされ、私も頑張れというようなことを祖母に言われた時には、何故よりによってそいつを引き合いに出されて働けと言われなければならないのだろうと思ったし、私はそいつを軽蔑していた、(軽蔑することで上に立ったように思い込もうとしていた)ので、そいつができること=働くことすら自分にはできないのがつらかった。

専門学校でも現役で入ってきた学生とは干支が半周くらいしていたし、2年かけた盛大な社会生活リハビリの中で、浮かざるを得なかったんですけど、

最近、会社の人が夢に出てくるようになって、「ああ、ようやく小学校以来の新しい人間関係を築くことができたんだ」とホッとしています。

戦っているという表現から、就活がうまく行かなくて苦しかった時、何度も中島みゆき「ファイト」を聞いていたことも思い出しました。

ファイト!

ファイト!

ファイト!闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう ファイト!冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ

自分では「何もしていなかった」という思いしかなかったひきこもり時代ですが、人が勉強している時間も遊んでいる時間もパソコンに触れていて、身についたタイピングの速さやPCとネット周りの知識はそれなりに身のあるもので、今、どうにかこうにかIT業界で働くことにも役立っているので、私はちゃんと「戦っていた」んだと思えました。

記事をお書きになった方とは何の縁もゆかりもないのですが、通りすがりに認められたようで嬉しかったです。ありがとうございました。