悪い方向に記憶力がいい。
人から言われた悪口、陰口の類は何年経っても鮮明に記憶している。一方で、人から褒められて嬉しかったという記憶はほとんど残っていない。
しかし、事実として、私はそれなりに人に褒められて生きてきている。褒められた瞬間は嬉しいのだが、褒め言葉を本心で受け入れていないため、悪口のように生々しい実感が残らないのだ。
同じように、人に嫌われた記憶は山ほどあるが、人から好かれた記憶はない。 そう思い込んでいたのだが、結局、これもまた、きっと事実ではないのだろうと思う。
万人受けはまったくしないが、ある程度まとまった人数がいれば、私の話を好んで聞いてくれる人が、誰かしらはいるのである。
「好かれる人には好かれているでは?)と、認知行動療法的にしみじみと実感する中、思い出した記憶がある。
幼稚園で男の子と二人きりの時に、何かを言われたのだが、肝心の何を言われたかがまったく思い出せないというものだ。
逆説的に考えれば、絶対に悪口ではない。
6歳の頃のいじめの記憶を20年以上引きずり、未だ恨みを燻らせているくらい根深い人間だ。悪口を言われたなら未だ腸を煮えくり返らせているはずである。
そう考えれば、きっと好意的な発言をされていたのだろう。 ただ、それを信じることも受け入れることも出来ずに、丸ごと抜け落ちてしまっただけなのだ。
自分が誰かに好かれるわけがないという思い込みが、誰かに好かれたという事実さえも塗り替えてしまったのかと思うと、6歳でその心境に至ってしまった当時の自分を、改めて可哀想だなぁと思う。